いよいよ今年で二年目「ミシュランガイド東京2009」発売にあやかりまして、ミシュランタイヤのお膝元フランス映画ベスト10の発表です。 | ||||||||||||||||||
| 第10位* <シャブロルの女たち> 『気のいい女たち』 (60・仏)モノクロ 93分 Les bonnes femmes (監督・脚本)クロード・シャブロル (出演)ベルナデット・ラフォン、ステファーヌ・オードラン、クロチルド・ジョアーノ、ルシール・サン=シモン、クロード・ベリ、マリオ・ダヴィッド、クロード・シャブロル、ジェニー・ドリア、チャールズ・ベイヤード、チャールズ・ベルモント、リリアン・デイヴィッド、シモーネ・ランドリー、ラズロ・サボ (点)70点
(監督・脚本)クロード・シャブロル (出演)ジャン=ルイ・トランティニヤン、ジャクリーヌ・ササール、ステファーヌ・オードラン、ナーヌ・ジェルモン、ドミニク・ザルディ、アンリ・アタル、クロード・シャブロル (評)「商業主義に魂を売った裏切り者」とヌベール・ヴァーグの同志などから公然と批判されていたシャブロルを、再び映画作家として復帰させるターニング・ポイントとなった作品。父の莫大な遺産を相続したフレデリック(オードラン)は、パリの街角で、地面に女鹿の画を描く娘ホワイ(ササール)を拾う。控えめで慎ましいホワイを気に入ったフレデリックは、自分の別荘に住ませる。ある日、別荘にフレデリックの恋人の一人であるポール(トランティニヤン)がやってくる。ホワイはポールにひかれるが、それを知ったフレデリックは彼と結婚すると言い出す・・・。あらすじを読んでも察せられるように、これはシャブロルの『いとこ同志』(58)の男女の関係が入れ替えられたものである。シャブロルはあるインタビューで、「男よりも女の方が、より複雑な心理を描ける」というようなことを語っていたが、そういう意味で、男女を入れ替えた人間関係というのは、この作品が成功した大きな要因となっている。当時はまだセックスに対する規制が厳しかったが、ササールが二人のセックスを覗き見しながらオナニーをするシーンや、オードランとササールのレズシーンなどは、三人の人間関係をより深め、より歪めさせる起爆装置とも言うべきリスキーな魅力に満ちている。オードランが気まぐれで傲慢でセクシーなブルジョワ女を余裕たっぷりに演じて申し分なくシャブロル映画のヒロインの座を確立した。オードランはこの映画でベルリン映画祭の女優賞を獲得した。一方、イタリアの青春スターとして大人気だったササールも、愛と憎しみを内包した難しい役どころを見事に演じ切ったのも印象に残る。
(監督・脚色)ベルナール・クイザンヌ (出演)ミムジー・ファーマー、パスカル・セリエ、セルジュ・ソーヴォイオン、アンドレア・フェレオル、ベルナール・フレッソン、マドレーヌ・ロバンソン、ステファン・ジョベール、エヴァ・イオネスコ、パスカル・オードレ、ロベール・オッセン
(監督・脚本・台詞)クロード・シャブロル (出演)イザベル・ユペール、フランソワ・グリュゼ、マリー・トランティニアン、ニルス・タヴェルニエ、ドミニク・ブラン、マリー・ブネル、ロリータ・シャマ、オーロール・ゴーヴァン、ギヨーム・フートリエ、ニコラ・フートリエ、エヴェリーヌ、ディディ、ヴァンサン・ゴーティエ (評)第二次世界大戦中、ドイツの占領下にあったペタン政権時代(ヴィシーに本部があったためヴィシー政権時代とも呼ばれた。ちなみにシャブロルは93年に『ヴィシーの眼』というドキュメンタリー映画を監督している。)に堕胎罪でギロチン刑に処せられた最後の女性マリーの半生が、シャブロルらしい乾いたタッチで描かれる。実話がベースとなっているので、通常のシャブロル作品ならメインとなるべき夫婦の危険な関係、すなわち本作品での図らずも髪結いの亭主となった夫と、若い男と乳くりあう妻マリーとのねじれた関係も、ストーリーの展開上、比較的簡潔に描かれ物足りなさを感じるのは否めない。無理な堕胎をして死んでしまう子だくさんの若妻のエピソードもマリーとは、さほどヘビーにからんでこない。おそらくシャブロルは今回、占領時代とその時代に流され続けた女を描きたかったのだろう。そのためにいつもと違い、ストーリーの流れを重視し、ドラマチックなエピソードに必要以上に寄り道することを避けたのだ。シャブロルは、敬愛するヒッチコック同様、自作の中に社会性や思想性を持ち込まないことを信条にしているのだが、占領時代を自分自身の原体験として、『ヴィシーの眼』と共に、ある種のけじめをつけておきたかったのかもしれない。そんな訳でシャブロルファンとしては、多少不満の残る内容なのだが、主人公マリーを存在感十分に演じたイザベル・ユペールが相変わらず素晴らしく作品を説得力あるものにしている。ヴェネチア映画祭の女優賞受賞も異議なしだ。
(監督・脚本)クロード・シャブロル (出演)ステファーヌ・オードラン、ミシェル・ブーケ、モーリス・ロネ、セルジュ・ベント、ガイ・マレー (評)61年の『悪意の眼』に始まるオードラン主演の<エレーヌもの>の第二作。7年もの間があいているのは、『悪意の眼』の興行的な大失敗によりプロデューサーへの信頼回復に、いささか時間がかかったせいである。この間に撮ったスパイアクション『虎は新鮮な肉を好む』(64)、『ジャガーの眼』『スーパータイガー黄金作戦』(以上65)は、大ヒットを記録し、おかげでシャブロルもようやく撮りたいものが撮れるようになった。オードラン主演の<エレーヌもの>は、全部で5作品あり(『悪意の眼』『不貞の女』『肉屋』『破局』『一寸先は闇』)、シャブロルも油がのり切っていた頃でいずれも力作、秀作揃いである。本作ほその中でも、『肉屋』と並ぶシャブロルの代表作である。物語は、幸せそうなブルジョワ家庭の団欒風景から始まる。よく手入れの行き届いた庭のテーブルで、夫シャルル(ブーケ)は、妻エレーヌ(オードラン)の肩に仲むつまじく手をまわし、息子はシャルルの母親と楽しげに話している。ソフトフォーカスで撮られた絵に描いたような幸福が、次第に砂上の楼閣のように崩れ出すのにそう時間はかからない。シャルルはふとした偶然から、妻エレーヌの不貞を知る。シャルルはエレーヌを尾行し、相手の男ビクター(ロネ)のマンションをつきとめる。シャルルは勇気をふるってビクターを訪ねるが、人のいいシャルルは何となくまるめ込まれてしまう。しかし、シャルルが何気にテーブルを見ると、結婚記念日に妻から送られたはずの大きなライターが、無造作に置かれていた。その瞬間、シャルルはそのライターで、ビクターを殴り殺していた。何となく丸め込まれて帰りかけていたシャルルが、自分と妻との愛の証と信じていた記念のライターが、こともあろうに愛人のもになっていた時の驚きと怒りが、シャブロルの衝撃的かつ的確な演出により見事に表現された名シーンである。ミシェル・ブーケの演技があまりに自然なので、観客は彼の突然の怒りに強い衝撃を受ける。その後、シャルルが床に流れた血を拭き取り、死体を車に積み、森の沼に沈めるまでがドキュメンタリーのように、つぶさに撮り続けられ、観客はあたかもこの犯罪に加担しているかのような錯覚に陥る。こうなるともうシャルルの一挙手一投足から一瞬たりとも眼が離せなくなってしまう。この後、エレーヌは夫が殺したことに気付くが、表面上とはいえ幸福な家庭を自ら壊すことは出来ない。しかし捜査の手が伸びシャルルは逮捕される。ここでは、劇的な演出は排除され、ロングショットで連行されるシャルルをエレーヌが、静かに見送る。シャルルとエレーヌの果てしない空虚感が、ある種の余韻として観るものの心に強く迫って来て映画は終わる。エレーヌ役のオードランが揺れ動く妻の心理をシャブロル好みのクールな演技で見事に演じるが、今回はシャルル役のミシェル・ブーケがさらに素晴らしい。妻と愛人が逢引中のマンション前で、雨に濡れそびれながらジーッと待っているシーンでみせたように、みじめったらしさと真摯さを微妙に兼ね合わせた演技が非常に印象的だ。こういう微妙な演技が出来るのは、日本だと故小池朝雄ぐらいしか見当たらない。ブーケとオードランは、この後『一寸先は闇』でも夫婦を演じた。この作品がシャブロルのオリジナルシナリオというのも、シャブロル色が強く出た所以だろう。ちなみにリチャード・ギア、ダイアン・レイン主演『運命の女』(02・監督エイドリアン・ライン)は、シャブロルのオリジナルシナリオをかなり大幅に書き直したリメイク作品である。シャブロルファンとしては、別物として観てもらったほうがいいかもしれない。 (点)75点
(監督・脚本・台詞)クロード・シャブロル (出演)ステファーヌ・オードラン、ジャン・ヤンヌ、ロジェ・ルデル、マリオ・べカリア、ウイリアム・ゲロー、アントニオ・バッサリア、パスカル・フェローヌ (評)シャブロルの妻ステファーヌ・オードランにエレーヌという役名を冠したいわゆる<エレーヌ物>と呼ばれる作品群の一篇。舞台はシャブロル映画では定番となったフランスの片田舎。肉屋としてまじめに働く中年男ポポール(ヤンヌ)は、村をあげての結婚式で女教師エレーヌ(オードラン)と知り合い好意を抱き、エレーヌもまじめで誠実そうなポポールに好感を持つ。結婚式から始まるオープニングは、同じく農夫の結婚式から始まるアルフレッド・ヒッチコックの『農夫の妻』(28)へのシャブロルらしいマニアックなオマージュだろう。ハムを切るナイフの何気ない荒々しさは、これから起こる惨劇を予告させる。エレーヌとポポールは不器用ながら次第に親しさを増して行くが、ポポールはアルジェリアとインドシナで激戦を経験してきた帰還兵で、陰では殺人の衝動を抑え切れず猟奇殺人を繰り返していた。この辺は、アメリカのベトナム戦争の帰還兵とも通ずる痛切さがある。シャブロルは、直接的な殺人描写を極力抑え、間接描写で恐怖をさらに盛り上げてゆく。たとえばエレーヌが子供を引率しピクニックにでかけ、少女のほうばるサンドイッチにケチャップならぬ赤い血をしたたらせ、崖の上に横たわる惨殺死体を発見するシーンなどがいい例である。殺人と共にこの作品を貫くもう一つの柱は、ポポールのエレーヌに対するグロテスクなまでの純愛である。終盤、エレーヌが瀕死の重傷を負ったポポールを車に乗せて病院に向かう途中、ポポールはエレーヌに対する愛を切々と語りだす。ヘッドライトに不気味に照らし出された並木が、二人の絶望的な愛の行方を暗示しているかのようだ。この終盤の長いシーンを二人の表情とヘッドライトに照らされる並木だけで描き切ったシャブロルの並々ならぬ演出力には驚嘆させられる。ラストで広がる空虚感は、シャブロル映画の醍醐味である。シャブロルファンならずとも押さえておきたい秀作である。
(監督・脚色)ジョルジュ・ロートネル (出演)リノ・ヴァンチュラ、ミレーユ・ダルク、ミシェル・コンスタンタン、ルフェーブル(ジャン・ルフェーブル)、トミー・デュガン、シルヴィア・ソレント、シェリー・シボウド、マルセル・バーニア、マイク・べッソン、フランス・ラミレイ、アンドレ・ボッシィ、ロベルト・ダルバン、ジャック・ザボア、セルジュ・ソーヴィオン、フィリップ・キャステリ、ガイ・ヘンリー、ジューン・パニス、ジャック・リチャード (評)ジョルジュ・ロートネルという監督は、コメデイ、メロドラマ、アクションと何でもござれの職人監督だが、ミレーユ・ダルクをフューチャーしていた時代が、最も油が乗り切っており、中でも『牝猫と現金』(67)、『狼どもの報酬』(72)などのコメディ・アクションが快調で、本作はその中でもずば抜けた面白さを持っている。リノ・ヴァンチュラ扮する元やくざで今はかたぎのボート屋が、ソビエトからフランスに輸送される金塊を強奪しようとするイギリスの強盗団(イギリス団)の計画を知り、彼らから命を狙われるというストーリーはシンプルだが、ひとひねりしたキャラクター設定、つぼを押えたキャスティングとメリハリのきいた演出が作品を大化けさせている。ヴァンチュラたちの命を狙うイギリス団のボスは大佐と呼ばれるエリザベス女王を信奉する男で、これはイギリス軍人のフランス風カリカチュアが面白い。さらに面白いのは大佐の部下たちで、全員が当時流行のビートルズもどきのモッズルックの若者たちで、数十台の赤いモーターサイクルを連ねて移動し、時と場所を問わず爆弾で攻撃を加える。いわば彼らは当時の今時の若者で、彼らがヴァンチュラ、コンスタンタンという昔かたぎのおっさんと戦うという対比がいい。爆弾で攻撃を受けてもかたぎになったんだからと、ジーッと耐える二人が、遂には家を爆弾で吹っ飛ばされて、ドリフターズのコントのように爆後ぼろぼろになりながらも、まだジーッと耐えているというシーンは、ヴァンチュラとコンスタンタンが、鬼瓦のような顔で真剣にやっているのがたまらなくおかしい。この後、とうとう堪忍袋の緒が切れた二人は、目には目をとばかりに、爆弾で逆襲を開始するのだが、その手口がばかばかしくて面白い。まず遊園地でスロットルをやっている団員、スロットルが揃った瞬間ドカーン、エレキサウンドで踊る団員が、道端の綺麗な花を摘もうとしてドカーン、車が赤信号で停車するとドカーン、青信号に変わると車輪だけが走って来る。特に大がかりなのは、高い大きな橋を爆弾で盛大に吹っ飛ばし煙が晴れると、一味の車が一つだけ残った橋脚の上にポツンと残されていて、やがて盛大に崩れ落ちる。ここは空撮を駆使し、スペクタクルなスラプステック・コメディの醍醐味を見せてくれる。最後に生き残った大佐をゴルフ場で吹っ飛ばすくだりも、ヴァンチュラ、コンスタンタンそしてデュガンの三人が飄々とした芝居で、とぼけた味を出している。ミレーユ・ダルクは、どちらかといえば、狂言回し的な役どころだが、男勝りにやたらでしゃばる昨今のヒロインにはあまり見られない控えめな感じが、この男盛りの映画のいい隠し味になっている。
(監督・脚本・台詞)ジャン=ピエール・メルヴィル (出演)ジャン=ポール・ベルモンド、セルジュ・レジアニ、ジャン・ドサイー、ミシェル・ピッコリ、ファビアンヌ・ダリ、モニーク・エネシー、ルネ・ルフェーヴル、エメ・ド・マルシュ、カルル・スチューター、ポーレット・ブリ、フイリップ・ナオン、アンドレ、フォルカー・シュレンドルフ、ドミニク・ザルディ (評)原題は”帽子”という意味だが、俗語で”いぬ(密告者)”の意味もあるので、邦題の方がしっくりくる感じだ。どちらかというとスタイルを重視した撮り方なので、ミステリー仕立のストーリーは、いささか説明不足で1回観ただけでは、簡単には理解できないかもしれない。だが、そんな寡黙な語り口が、この作品の魅力でもある。オープニング、ソフトをかぶりトレンチコートに両手を突っ込み思いつめた顔つきのモーリス(レジアニ)が、鉄橋下の歩道を黙々と歩く姿を長々ととらえた移動撮影が素晴らしく、早くもメルヴィルの世界に引き込まれてしまう。立ち止まったモーリスが一軒の家を見やると字幕が、インサートされる。”決断しなければならない。死ぬか、嘘をつくか・・・”。それから彼は、裏切り者のジルベール(ルフェーヴル)を射殺する。モーリスは、仲間のシリアン(ベルモンド)に金庫破りの道具を用意させ、情婦テレーズ(エネシー)に下調べさせた豪邸に、相棒のレミーと共に押し込む。だが、何故か計画は警察の知るところとなり、レミーは射殺されモーリスも被弾するが、何者かに救われる。モーリスは”いぬ(密告者)”が、シリアンだと確信し復讐を誓うが、居場所が警察にばれ逮捕される。この辺までは、モーリスが主人公となりストーリーが展開するが、彼の逮捕後はシリアンが主人公となり疑惑の行動を繰り広げる。終盤、釈放されたモーリスにシリアンが、ことの次第を説明し、全ての疑惑が解明される。 以後ネタバレ注意!! ”いぬ”だと思われていたシリアンは、実は男気あふれる男で、モーリスを警察の手から救うために行動していたのだ。モーリスの情婦テレーズを拷問し、事故死に見せかけて殺したのも、彼女が”いぬ”だったからだ。メルヴィルは、ここに至るまで細かい説明を極力はぶき何かに突き動かされるように黙々と行動する男たちの姿をクールに描き切ることによって、緊迫したフイルム・ノワールの世界を完成させている。ラストに至り、メルヴィルの美学は頂点に達する。雨の中帰宅したシリアンは、瀕死のモーリスを見つけ抱きかかえる。モーリス「ついたて・・・」。シリアンはついたての後に潜む刺客めがけて、銃弾をぶちこむが自らも被弾する。よろめく体で電話をかける。「フェビアンヌ・・・今夜はいかない」。そういうと鏡で帽子を直す。だが、次の瞬間力つき崩れ落ちる。被っていた帽子が、床に落ちて映画は終わる。帽子はメルヴィル映画の男たちにとって、ダンディズムの象徴であり、生きる証でもあるのだ。フイルム・ノワールの真髄が、メルヴィルが磨きあげたこの映画にはある。主人公シリアンを、ベルモンドがクールに好演し、『勝手にしやがれ』(59)と並ぶ初期の代表作とした。メルヴィルと組んだ未公開の『モラン神父』(61)と『フェルショー家の長男』(63)も是非観たいものだ。もう一人の主役と言っても過言ではないモーリスを、名脇役セルジュ・レジアニが独特の苦渋に満ちた表情で巧演し、作品を引き締めた。
(出演)マドレーヌ・ロバンソン、ジャック・ダクミーヌ、アントネッラ・ルアルディ、ジャン=ポール・ベルモンド、ジャンヌ・ヴァレリー、アンドレ・ジョスラン、ベルナデット・ラフォン、ラズロ・サボ、マリオ・ダヴィッド、クロード・シャブロル (評)『いとこ同士』(58)に続くシャブロルの監督第三作にして初のカラー作品。前二作品はオリジナルシナリオによる若者たち苦悩を極めてヌーベル・ヴァーグ的に描いた内容だったが、今回はアメリカの推理小説を映画化した本格的スリラーで、その後のシャブロル作品を思い起こせば第二のデビュー作といっても過言ではない重要な作品である。南仏プロヴァンスのブルジョア家庭が舞台となる。夫アンリ(ダクミーヌ)は、近くに住む若く美しいレダ(ルアルディ)とデキてしまい妻テレーズ(ロバンソン)と離婚寸前だ。レダとこの地にやってきたラズロ(ベルモンド)は一家の娘エリザベス(ヴァレリー)と婚約中だが、そのあまりの傍若無人なふるまいに、テレーズは、激怒する。やがて一家とラズロたちが食卓を囲んだ折、家政婦のジュリー(ラフォン)が絞殺されたレダの死体を発見する。犯人は誰か? 登場人物が限られているので、犯人当ての興味はさほどわかないが、カラー撮影による田園風景の美しさとフラッシュバックを駆使した展開は見所十分で、当時としてはかなり斬新なスリラー映画となった。アンリと息子リチャード(ジョスラン)の回想をはさみ、犯行前後の時間域を微妙にずらせたりだぶらせたりすることによって、殺人事件の多重性が見事に浮かび上がる。この手法は、ヒッチコックが『ハリーの災難』(56)でこころみているが、シャブロル版はそれをより進歩させた発展型といったところだ。犯人が殺人に至る動機が、明快ではなく極めて抽象的かつ観念的なのも、従来のカタルシス先行型のスリラーと一線を画す新しさがある。ただラズロが突然探偵になり、あっという間に犯人のめぼしをつけ、犯人を追い詰め自白させるという性急な展開は、いかに彼が企画外の行動派とはいえかなり唐突な感はぬぐえない。この辺は、基本的にシナリオの問題であろう。レリチャードが和風(あくまで彼らが考えた和風である)に設えられたレダの部屋を見ているうちに、彼女に対する殺意をより喚起させられるというシーンは、美術で彼のゆがんだ心理を表現しようとしたシャブロルならではの野心的試みで、かなりの効果をあげている。役者はそれぞれ一癖ありそうなシャブロル好みのキャラクターが揃っているが、中でもジャン=クロード・ブリアリの代役で出演した当時無名のベルモンドが、ブルジョワ一家に波風を立てる起爆装置的役柄で異彩を放つ。ベルモンドは、同年ゴダールの長編第一作『勝手にしやがれ』(59)に主演し、一躍ヌーヴェル・ヴァーグが生んだ大スターとなる。
(監督・脚色・台詞)クロード・シャブロル (出演)イザベル・ユペール、サンドリーヌ・ボネール、ジャクリーン・ビセット、ジャン=ピエール・カッセル、ヴィルジニ・ルドワイアン、ヴァランタン・メルレ、ジュリアン・ロシュフォール、ドミニク・フロティ、ジャン=フランソワ・ぺリエ、アンリ・アタル (評)シャブロル&ユペールの強力コンビに『冬の旅』(85/アニエス・ヴァルダ)、『愛の記念に』(83/モーリス・ピアラ)などで見事な存在感を示した、当時若手NO・1の演技派サンドリーヌ・ボネールが加わった犯罪ドラマの傑作。フランス片田舎のジャクリーン・ビセット、ジャン=ピエール・カッセル夫妻のブルジョワ家庭にサンドリーヌ・ボネールは、家政婦として雇われる。無口で陰気な彼女だが掃除や料理を完璧にこなし、一家も彼女に優しかった。しかし彼女には失読症(Learning Disability/ 脳の障害で文章を読んだり書いたりできない病気)であるという家政婦としては致命的な病気を隠していた。そのため一家の親切が、彼女をどんどん追い詰め、遂には一家をみな殺しにしてしまう。失読症のためテレビを娯楽と情報収集の唯一の手段として食入るように観るシーンは、彼女の心の闇を垣間見せる一瞬である。彼女を一家惨殺に駆り立てる起爆装置として町の郵便局員イザベル・ユペールがからんでくる。過去にユペールは自分の子供をボネールは自分の父親を殺害した容疑をそれぞれかけられたことがあり、二人は一種の共犯幻想により結びつきを深める。ここではあえてお互いの殺人の真実を明らかにしないことによって、観客の不安感を増幅させることに成功している。クライマックス、遂に失読症であることがばれ、くびになったボネールがユペールと共に屋敷に荷物を取りに行くと、一家は居間で横一列に仲良く座って、モーツアルトのオペラ「ドン・ジョヴァン二」のテレビ放映に見入っている。大音響で物音が聞こえないのをいいことに二人は、夫婦のベッドを汚し、夫人の豪華なドレスを切り裂く。この後、居間でオペラ鑑賞に夢中のブルジョワ一家を、二階の廊下から二人が見下ろすシーンの悪魔的な緊迫感が素晴らしい。この時、観覧車から下界を見下ろした『第三の男』のハリー・ライムが舞い降りたのかもしれない。狼藉がエスカレートした二人は、ライフルで一家を次々に射殺する。ここは惨殺といっても、血潮が派手に飛び散るわけではなく、どちらかと言えば淡々と殺人が行なわれ、それがかえって殺伐とした印象を与える。この後、どんでん返しがあるのだが、それを余韻など無視し何とエンド・クレジットにねじ込んだシャブロルの力技には驚かされる。それにしても主演の二人ユペールとボネールは、彼女たち以外にはこの役を演じ切れないと思えるほど本当にうまい。シャブロル先生もさぞ演出しがいが、あったことだろう。 | ||||||||||||||||||
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| 本名、工藤公一。北海道倶知安町生まれ。少年時代、その頃では珍しかったテレビが家庭にあり、大量の映像に触れる。力道山時代の日本プロレス・大瀬康一主演の「月光仮面」「隠密剣士」、松山容子主演の「琴姫七変化」などが当時のお気に入りだった。映画の最初の記憶は幼稚園の頃に観た藪下泰司監督の『こねこのらくがき』(57.短篇)。19歳で上京、文芸座・並木座・大塚名画座・フィルムセンターなどで邦画・洋画問わず新旧の映画を浴びるように観まくる。 20代後半、“シネマトグラフ"という同人誌の創刊にかかわり、映画評論家としてキネマ旬報・ぴあなど様々な媒体に寄稿する。この頃からダーティ工藤と名乗るようになる。'02年には故工藤栄一監督の聞き書きをまとめた「光と影 映画監督工藤栄一」をワイズ出版より上梓。'04年には俳優丹波哲郎氏の膨大な聞き書きを6年かけてまとめた「大俳優 丹波哲郎」を上梓する。 映画は'77年、仲間と作った8ミリ映画『マッド・ハンター 恐怖の追撃』を初監督。長いブランクの後、'99年、自伝的カルトムービー『縄文式』をBOX東中野にてレイトショー公開、同年シネ・ヌーヴォ梅田にて公開。'00年、シニカルな連続殺人もの『殺人無頼帖』をアップリンクファクトリーにて限定公開。'01年には『縄文式』の続編『縄文式2』を中野武蔵野館にてレイトショー公開。'06年『ふたつの女』、『東陽片岡のあま〜い生活』がポレポレ東中野にてレイトショー公開。大阪では第七芸術劇場にてレイトショー公開。 2007年、新作映画『東陽片岡のルサンチマン』を完成。 2008年1月12日〜25日まで、旧作特集と共にアップリンクXにてレイトショー公開 大阪では2月9日〜22日まで旧作2本立てグラインドハウス形式でロードショー。 現在、故石井輝男監督のドキュメント映画『石井輝男映画魂』を準備中。 新作映画本として『新東宝大蔵時代大全』を準備中。 日本映画監督協会会員。 ブログ ダーティ工藤の映画的生活http://blog.livedoor.jp/dkp123/ | ||||||||||||||||||